富士山周辺の自然


  富士山はその姿そのものが美しいとともに、その周辺の自然の素晴らしさも忘れてはなりません。 富士山周辺には繰り返されてきた激しい噴火活動が創り出した独特の自然や地形などがたくさんあり、それらは観光地としても注目されています。
  そんなわけで、ここでは富士山そのものの姿からは少し離れ、富士山の周辺に広がる自然に注目して 紹介していきたいと思います。


山梨県側の自然

★鳴沢氷穴(鳴沢村)

撮影:2009年2月22日

  富士山の山麓には数百を越える数の熔岩洞窟があると言われています。鳴沢氷穴もその中の一つですが、 一年を通して洞窟内が氷点下なので、湧き出した地下水が凍結して洞内は氷に覆われています。 ただ、洞内の気温は季節によって若干変化するらしく、氷の量は春先に増え、秋頃には最も少なくなります。
  鳴沢氷穴は富士山北西麓の青木ヶ原樹海の真ん中に位置しており、西暦864年の貞観大噴火の際に長尾山(富士山の側火山) から流れ出した熔岩流によってできた洞窟です。
  洞内は非常に狭いので散策には頭上には十分注意が必要です。


★富岳風穴(旧 上九一色村)

撮影:2002年5月2日

  富岳風穴は鳴沢氷穴から約1km西側にある熔岩洞窟で、こちらも西暦864年の貞観大噴火で流れ出した熔岩流によって形成された 洞窟です。富岳風穴の中は鳴沢氷穴に比べると空間が広く、頭をぶつける心配は殆どありません。
  富岳風穴内にも春先を中心に立派な氷柱が形成されますが、 近年は富士山の地熱によって氷の量が減少するという不気味な現象も発生しているようです…。
  熔岩洞窟は鍾乳洞とはちがい鍾乳石のような派手な造形物を見ることは出来ませんが、縄状熔岩など、 熔岩が流れた痕跡そのままの様子を観察することができます。
 







 左の写真は富岳風穴内で観察できる縄状熔岩です。






★青木ヶ原樹海(旧 上九一色村)

撮影:2001年5月3日

  青木ヶ原樹海は富士山の北西麓に広がる大樹林地帯として有名な場所です。西暦864年の貞観大噴火の熔岩流出で富士山北西麓は 一面の熔岩原になったものの、次第に植生が復活し現在の「青木ヶ原樹海」が形成されました。
  青木ヶ原は鬱蒼とした不気味な森林地帯で、その広大さから「一度入ったら出てこれない」とまで言われ、遂には自殺の名所になってしまい ましたが、青木ヶ原樹海内には東海自然歩道が整備されており自然歩道から外へ出なければ散策しても安全です。


★忍野八海(忍野村)

撮影:2001年5月4日

  忍野八海は富士山北東麓の湧水が作る8つの池の総称です。
  かつて、忍野八海の周辺は宇津湖という巨大な湖でしたが、これが西暦800年の延歴大噴火の熔岩流によって2つの湖に分断されたそうです。 そのうちの一つは山中湖として現存していますが、片方の忍野湖はやがて干上がり、小さな池が点在するだけの「忍野八海」だけが残されました。
  忍野八海の池の底からは湧き水が豊富に湧き出しており、池の透明度は非常に高く、名水100選にも指定されています。


★富士五湖★

撮影:2009年1月11日(写真は富士五湖の一つ、本栖湖)

  富士五湖は富士山北麓にある5つの湖の総称で西から順に「本栖湖」「精進湖」「西湖」「河口湖」「山中湖」と並んでいます。 富士五湖は全て、富士山の北側を囲むように位置する御坂山地と富士山本体から流れ出した熔岩流に挟まれた 場所に水が溜まって出来た堰止湖です。中でも、本栖湖・精進湖・西湖の3つの湖の湖面標高は全て同じで、これは 3つの湖がかつて「せの海」と呼ばれる一つの湖でまとまっていた証拠とされています。その「せの海」は西暦864年の貞観大噴火 の際に流れ出した熔岩流によって現在の「本栖湖」「精進湖」「西湖」の3つに分断されました。
  先ほどから「西暦864年の貞観大噴火」という言葉が盛んに登場しますが、この噴火は相当大規模な噴火だったらしく、 現在の富士五湖や、青木ヶ原、富士山北麓の熔岩洞窟を形成するなど、富士山北麓の自然を語る上での大きなキーワードになっています。


★小御岳火山(鳴沢村)

撮影:2002年5月2日

  富士山の北側斜面を登る「富士スバルライン」有料道路、その終点にあたる河口湖口新五合目に 小御岳神社という小さな神社があります。ここは富士山の新五合目であると同時に、実は「小御岳火山」という別の火山の山頂部でもあります。
  現在の富士山は今から1万年前の噴火活動によって形成された「新富士火山」と呼ばれています。その新富士火山は、 それ以前の噴火活動によって既に出来ていた小御岳火山の山体を飲み込むような形で形成されましたが、 現在でも富士山北麓では小御岳火山という古い火山の斜面の一部を見ることができるのです。






  左の写真は富士スバルラインの1合目付近から撮影した富士山の姿です。こうして見ると富士山の巨大な山体が古い小御岳の 山体を飲み込むようにして形作られてる様子がよく分かります(手前のシワが多い斜面が小御岳火山の斜面)。
  新富士火山が1万年前に出来たのに比べ、小御岳火山は70〜20万年前という非常に古い時代に形成されたために、浸食作用が進み シワだらけの斜面になっています。ちなみに、富士山の南麓にある愛鷹山も小御岳とほぼ同時期に形成された火山で、 やはり浸食作用によってシワだらけの山体に変化しています。






静岡県側の自然

★白糸ノ滝(富士宮市)

撮影:2002年3月7日

  白糸ノ滝は富士山の南西斜面にある滝で、その名の通り水が何本もの糸状に流れ落ちるように見える美しい滝です。
  そしてこの滝は、富士山の斜面を流れ下ってきた地下水が崖から湧き出すことによって作られた滝です。 富士山の山体は隙間だらけの熔岩で出来ているので、降った雨は全て地中に染み込み地下水となって麓で一気に地上に出てきます。
  このため、富士山の麓には白糸ノ滝以外にも地下水が豊富に湧き出すポイントが多数存在し、 その地下水を利用した製紙業などの工業が富士山南麓に発展しました。


★宝永火口(御殿場市)

撮影:2007年1月5日(上)/2002年2月6日(下)

  左の写真で富士山の左側中腹に見えるのが宝永火口です。これは、延暦・貞観と並んで富士山の三大噴火に 数えられている西暦1707年の宝永大噴火の際に形成された火口で、この噴火の際には江戸にも火山灰が数センチ降り積もるなどの 影響が出たと言われています。
  宝永火口は富士スカイラインの終点、富士山富士宮口新五合目から徒歩30分くらいで 行き着くことが出来ますが、私がそこへ行くといつも濃霧になるので未だ間近から宝永火口にお目にかかれたことがありませんw







  左の写真は飛行機から宝永火口を正面から見たものです。宝永火口を良く見ると凹みが1つだけではなく3つあることがお分かり 頂けると思います。上から宝永第一火口・第二火口・第三火口と呼ばれていて、1707年の大噴火の際には第三火口から噴火が始まり、 最終的に第一火口へと噴火点が移動していきました。
  宝永の噴火の際には、富士山南東麓の斜面の植生はことごとく破壊されました。現在でも富士山の南東斜面は標高1500mくらいまで 熔岩や火山砂、火山灰に覆われた無植生地帯が広がっていて、南東側から見た富士山は冬になると積雪が目立ち一段と白く見えます。


★柿田川湧水(清水町)

撮影:2008年1月6日

  白糸ノ滝の滝と並び、富士山の湧水スポットとして脚光を浴びている観光地が、富士山南西山麓に位置する柿田川湧水というポイントです。 ここの湧水量は1日100万トンというとてもない量で、東洋一とすら言われています。
  実際、観察ポイントからは絶え間なく地上に湧き出してくる水を目の前で観察することができます。これを見ると、富士山の湧水の豊富さを本当に思い知らされます。
  ちなみに、柿田川湧水は国道1号線に面する市街地の真ん中にあり、そんな場所にこれほど豊富な湧水が残されていることにも驚かされます。


★駒門風穴(御殿場市)

撮影:2004年9月21日

  山梨県側の「鳴沢氷穴」「富岳風穴」と同じように、静岡県側にも「駒門風穴」という熔岩洞窟が存在します。
  ただ、山梨県側の洞窟と比べると洞内の気温が高く、冬でも氷に覆われるようなことはありません。
  また、形成年代も富岳風穴などとは全くことなり、駒門風穴は1万年も前の熔岩流によってできた古い熔岩洞窟です(富岳風穴は864年の大噴火による 熔岩洞窟なので、駒門風穴よりずっと新しい)。
  洞内は比較的広く、足元いっぱいに広がる縄状熔岩など、富士山の大噴火の痕跡をゆっくり観察することができます。


★流れ山(御殿場市)

撮影:2004年9月21日

  富士山東麓の御殿場市周辺にはあちこちに高さ数メートルの丘状の地形を観察することができます。
  この丘の正体は縄文時代終盤に富士山が大崩壊を起こした際に、頂上付近から流れ下ってきた山塊の一部と言われています。
  この現象は「岩屑なだれ」とも呼ばれ、火山災害の中でも最も大きな被害を引き起こす最悪の現象と言えます。 現に、御殿場市や裾野市周辺では何百もの流れ山が存在しており、万一、これから富士山で岩屑なだれが発生すれば、山麓の都市の1つや2つ、 簡単に全滅してしまうことでしょう。
  なお、小山町の須走富士浅間神社の境内はまるごと流れ山の上に位置しています。


★印野胎内熔岩樹型(御殿場市)

撮影:2004年9月21日

  御殿場市印野にある「印野胎内」と呼ばれる洞窟は、熔岩が樹木を巻き込み、焼き尽くされた樹木の跡が空洞として残った洞窟です。 このような洞窟は駒門風穴のような溶岩洞窟とは区別され、「熔岩樹型」と呼ばれています。
  樹木が熔岩に巻き込まれた跡だけあって、洞窟内は匍匐前進を強いられるほどとてつもない狭さです。また、印野胎内は複数の熔岩樹型の 組み合わせによりできているので、中の構造は迷路のように複雑です。
  そして、洞内には肋骨状の熔岩など、熔岩が流れながら固まった形跡が生々しく残されています。